現在ほとんどの人が天の父にむかって言っている言葉がある。それは“神”という言葉である。これはもちろん、個人の名前ではない。聖書の初めの時代には決してそのようには呼ばれていなかった。
“神”という言葉は、北ヨーロッパの異教徒であるゲルマン民族が、悪魔的な何かを崇拝するときに用いた言葉である。”バール”という名前は、悪霊の名前でなく”神”や”主”と同じように、太陽神を崇拝したり、悪霊に使っていたタイトル名であった。
”バール”という言葉は、訳すと英語では”Lord”,日本語では”主”と同じ意味になる。例えば、聖書で出てくるベルゼブルという悪霊を例に出すと、”ベルゼブル”=”バール”+”ゼブル”(Baal-Zebub)であり、「主ゼブル」という意味になる。
そして、北の異教徒たちがクリスチャンに改宗したときに、今まで用いていた”バール”という言葉を創造主に用いたのが始まりである。”神”や”主”という言葉の起源を見ていくと、現在我々が礼拝の時に”神”や”主”という言葉を用いて礼拝しているとすれば、それは決して天の父なるヤフワの栄光にはならない。
天の父のお名前はYHWHとあらわし、表記は”ヤフワ”、発音は”ヤフア”と発音する。
このお名前は「私はある」という意味であり、このお方は永遠の昔から未来まで自ら存在しておられる方であることを指している。
出エジプト3:14
神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」
聖書の中には”ヤフワ”の呼び名が360回以上にもわたって出てくる。
羊飼い、助け主、光、アドナイ、インマヌエルなどであるが、ヤフワという名前の中にはこれら全部の意味が含まれている。
また、聖書全体を通じてヤフワの名前を呼び求めることが、至る所にしるされている。
第一歴代誌16:8-10
主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。
主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。
主の聖なる名を誇りとせよ。主を慕い求める者の心を喜ばせよ。
イザヤ12:4
その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。
詩編116:3-7
死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。
そのとき、私は主の御名を呼び求めた。「主よ。どうか私のいのちを助け出してください。」
主は情け深く、正しい。まことに、私たちの神はあわれみ深い。
主はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。
私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったからだ。
そしてほかの聖句では、その聖い御名に褒め歌を歌えと書いてある。
詩編135:1-3
ハレルヤ。主の御名をほめたたえよ。ほめたたえよ。主のしもべたち。
主の家で仕え、私たちの神の家の大庭で仕える者よ。
ハレルヤ。主はまことにいつくしみ深い。主の御名にほめ歌を歌え。その御名はいかにも麗しい。
詩編145:2
日ごとにあなたをほめたたえ、あなたの御名を世々限りなく賛美します。
これらの聖句には、主に褒め歌を歌えと書いてあるが、正確には”ヤフワ”の聖なる御名に向って賛美せよと書いてる。
”ヤフワ”と書き記されなければならない部分が”主”となっていることは、悪魔・サタンの大きな欺きである。敵である悪魔は、”ヤフワ”という御名がどれだけ偉大な意味を包含しており、どれだけ聖いかを一番知っている。そのため、その聖なる御名を隠し、その聖なる御名に褒め歌を歌えないようにした。
詩編20:5
私たちは、あなたの勝利を喜び歌いましょう。私たちの神の御名により旗を高く掲げましょう。主があなたの願いのすべてを遂げさせてくださいますように。
この人間世界で考えても、すべてのものには名前があり、名前なしではコミュニケーションをとることができない。それが人でも物でも考えでも場所でも概念でも同様である。
そして、天の父なる創造主にも”ヤフワ”という個人的な名前があり、それはすべてヤフワを愛する者が叫び求めるべき聖い御名である。
ヤフワは世界の創造されたときから、人がご自身の御名を呼び求めることを待っておられる。
それゆえ、”主”というのは聖なる名前に置き換えられるべきものではない。たとえ”マスター”や”主”という言葉を用いても何の力もない。
”主”という単語は判事や王、預言者、夫、偶像にさえ用いられてきた。これらの言葉はただのタイトルである。心からヤフワ様を呼び求め礼拝するためには、天の御父の名を知る必要がある。
”ヤフワ”という力強い名前を隠そうとするのはサタンの策略である。サタンの策略は、聖く力強い御名を別の単語で置き換え、ヤフワの子供たちから御名に関する知識を奪うのが目的であった。聖書の物語は、すべての者がヤフワを呼び求めて、礼拝しなければならないということが至る所に明記されている。
ヨナはクジラの中からヤフワを呼び求め、ダニエルはライオンの巣からヤフワを呼び求めた。
ヤフワの子供たちが信仰により心の底からヤフワを呼び求めたとき、どんな苦しみからも迫害からも日の燃える炉からも救いだされた。
イスラエルの歴史の中で、人々は罪を犯し、牢屋に入れられ、バビロンに捕囚され、それ以外は処罰された。そんな中でも、彼らが悔い改めてヤフワを呼び求めると彼らは救い出された。
使徒17:30
神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。
これまではヤフワ様の恵みによってこれらの罪は見過ごされ、まちがった名前でも何の意味のない名前でも奇跡が起き、人々は救われてきた。しかし、これから来る今まででなかったような大きな艱難や迫害が起きるとき、ヤフワの正しい信仰の中にとどまり続けるためには、ヤフワとその御子であられるヤフシュア様の正しい名前を知っている必要がある。
サタンに騙された人々は、全能なるヤフワに呼び求めることを忘れ、悪霊を恐れるようになる。サタンの戦略は、私たちから全能なるヤフワに属する礼拝や栄光を奪い取ることにある。
しかし、すべてはヤフワに創造されたものであるにも関わらず、自分を最も高き座にあげようとして、サタンは天の父なるヤフワによって天から落とされた。
イザヤ14:12-15
暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。
密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』
しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。
ヤフワが洪水で世界をなくされた後も、悪霊は自分自身を崇拝させるために、人々を騙しはじめた。ノアとセムが住んでいた時から、人々は悪霊崇拝をしており、アブラハムの時までには、偶像礼拝は多くの人の中にあった。ヤフワはアブラハムに「そこから出てきて聖別されなさい。それはほかの偶像に仕えることがないように」との忠告を送られた。
悪霊は、自分たちの寺院を持つことによって人々を縛り、悪霊に奉仕させようとした。宮を建てることのできるお金持ちや王は、司祭と約束をとり、その宮の最も神聖な場所に住んでいる特別な悪霊を特別な呼び名で招待した。
特定の悪霊に仕える司祭は、そこに入り、生贄や捧げものを捧げて祈願するために悪霊の名前を使用した。
そして人々は、悪霊に仕える司祭にお金を払い、悪霊に不思議なことや祝福、呪いをかけてくれるように司祭にお願いした。
悪霊は、まやかしによって人々をだまし、支配するためのたくさんの方法を持っていた。
それらのオカルト崇拝は当時の人々の心を魅力し、より多くの人々を獲得するために多くの神秘的な魅力的な儀式を行っていた。
悪霊崇拝者にとって、悪霊の個人的な名前を知らないでは悪霊と何のコンタクトもとることができないと考えられていたため、悪霊の名前を知るということはとても重要なことであった。
もし、悪霊の名前を自分の敵が知ったのであれば、敵は悪霊に自分たちより盛大な捧げものを悪霊に捧げ、自分たちが滅びるように願うであろうということまで信じられていた。
それゆえ、この時代の人々はサタンの名前を隠し、それぞれの悪霊は何百もの名前を持っていた。しかし、これは悪魔崇拝のしきたりであって、聖書では「主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。(1歴代誌16:8)」と記されてあり、我々は尊い聖い名前であるからこそ「主の聖なる名を誇り(1歴代誌16:10)」としなければならない。
聖書の時代では、名前の知られていない像があったのなら、名前がないことでその像を憐れむ者は一人もなく、この悪魔の名前はより厳重に隠されているのだと認識していた。
使徒17:22-23
そこでパウロは、アレオパゴスの真中に立って言った。「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。
私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に。』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。
特定の偶像に個人的な名前で祈ることは必須のことであって、それは古代の世界を通してよく理解されていた概念でもあった。
古代の世界では、人物の名前の知識というのはその人の上に力を与えると信じられてきた。
異教徒の神の性格や特性の知識というのは、その名前を知ることにより多くの影響を与えることを可能にさせると考えられていた。
その分、神を通してある種の力を得たいと望んだ人に対しては”神”という呼び名だけでは、偶像の性格の少しの手がかりも示さないので、”神”というあいまいな単語にイライラしていたとすらされている。
これは特にカナンの風習である。旧約聖書でカナンに住んだイスラエル人は異教徒の風習に影響されて、母音の点を変更することにより、ヤフワの名を隠そうと試み始めた。
このカナンという土地は、悪霊崇拝にまみれて悪が満ちていたのをヤフワがご覧になり、洪水を起こされた。しかし、ヤフワの恵みを受けたハムの孫であるニムロデがまさに、洪水が終わった直後に偶像礼拝を取り入れた人物であった。ニムロデの父はクシュであった。
カナンの土地では、ある特定の悪霊にお願いをしたいときは、一般的に呼ばれている呼び名では意味がなかった。このように、できるだけ自分の知らない偶像の名前を探求する一方で、自分の崇拝している偶像の名前を隠すので必死であった。
イスラエル国家の奴隷化の時までに、エジプトは2000以上の名前の神々を持っており、それらの偶像の一部は、名前の数百を持っていた。
それゆえ悪霊に仕える司祭にとって、偶像の名前を隠されることは大きな問題であった。
なぜならその名前を知り、それを呼ぶことで祈りは聞かれ、力を得ることができると信じられていたからである。
悪霊を親密な名前を呼ぶことで、答えを指し示してくれる場合もあるが、その名前自体は、魔法のようなものではない。その名前を呼ぶと何か不思議な力が得られるという考えは
異教徒たちが落ちいったサタンの罠であった。
ヤフワ様とヤフシュア様の個人的な御名を知ることの重要性は、その中に含まれている意味を理解し、そして祈る人が個人的な交わりを持つことで霊的に成長していくところにある。
ヤフワへの愛、ヤフワの御心を追い求めるものの信仰によって、またヤフワの約束に信頼することによって、ヤフワの力が解き放たれる。
しかし、祈りが聞かれる前にしなければならない条件もある。
それは悔い改め、従順、そして人はヤフワの助けなしでは生きていけないという信頼である。
ヤフワの名前を呼ぶこと、それは終わりの時代に生きている私たちにとって必ず必要なことです。
モーセやエリヤのメッセージが時を超えて、現在の私たちに問いかけている。
ヤフワにつくものは誰か?
もしバアルに仕えたけば、彼に仕えよ。しかしもしヤフワが創造主であると信じるなら心から悔い改めて従順しヤフワに仕えなければならない。
マラキ4:2-3
しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、癒しがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。
あなたがたはまた、悪者どもを踏みつける。彼らは、わたしが事を行なう日に、あなたがたの足の下で灰となるからだ。――万軍の主は仰せられる。――
これは、万軍のヤフワの名前を恐れ、敬意を払い、愛する人は霊的に成長し、そして悪のすべてに打ち勝つようになるという預言である。
現在のクリスチャン文化は異教徒の風習によった伝統を引きつでいるため、何かしら間違いがある。その「人間の教え」である伝統により、創造主の聖い名前も律法学者や翻訳家たちがオリジナルの”ヤフワ”という名前から変えてしまった。
ダニエル12:1
その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。
このかつてないほどの苦難に耐えるためにはヤフワの力強い御手の中で守られる必要がある。
ゼパニヤ3:9
そのとき、わたしは、国々の民のくちびるを変えてきよくする。彼らはみな主の御名によって祈り、一つになって主に仕える。
御父の御名を表す言葉を”テトラグラマトン”という。
ヘブル語は日本語のように左から右に読むのではなく、右から左に読むので、注意が必要である。
右から一文字目は「ヨード」。発音は”yes"のときの発音である"I(イ)”と発音する。
同様に2文字目は「ヘイ」。発音は”ah(ア)”である
3文字目は「ウォウ」。発音は”oo(ウ)”である
4文字目は2文字目と同じ「ヘイ」となる。発音は”ah(ア)”である
またヘブル語には一つの単語につき、それに対応するひとつの絵がある。
例えば、α(アルファ)であれば”牛”、β(ベータ)であれば”家”などである。
ヤフワ様の綴りは上の画像のように四文字であらわされる。
これらの文字の意味を一文字づつ見ていくと以下のようになる。
これらの文字に含まれている象徴的な意味は一人息子を通しての父の贖いの計画が表れている。
最初の「ヨード」という単語は、「手と腕」という意味である。
2番目の「ヘイ」という単語は人が両手を挙げて立っているがこれは「見よ」という意味である。
3番目の「ウォウ」はテントを止めるときの釘の図です。
主にテントの釘は木で作られ、ロープがほどけないようにYの字になっている。
最後は2番目と同じ「ヘイ」で終わる。
これらの文字の象徴は贖いの計画を描いている。
「手を見よ、釘を見よ」
また、「私はある」という意味の御名をお持ちの全知全能であられるヤフワは、どこにでも存在し、人の心から出るすべての言葉を聞き、すべての行動を見、すべての感情を感じておられる。
ヤフワは私たちが感じることを感じられるので、私たちが持っている助けや知恵、慰めの保証というのは、祈りの答えとして、必要となる正確な時間に来る。
ヤフワの聖なる名前はあなたの必要を天の父が知っているという保証である。
マタイ6:31-32
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
聖書にはヤフワはいつもおられ、今も生きておられ、そしてこれからも生きておられることが書かれている。
「私はある」というまさにその名はヤフワご自身が、誰の手にもよらず存在しているということを表している。
ここに聖なる名前の力が表れている。
ヤフワは偉大な存在する方であり、すべてを見通し、すべてを知り、いつも生きておられる方である。
また、この世界を想像されたときから人類を贖うための御計画は用意されていたことになる。すべての救いを完成されたのはヤフシュア様であるが、人類の贖いを御計画されたのはほかの誰でもない、我々の父ヤフワ様であることがこの御名の意味よりわかる。
それゆえ、ヤフワは完璧な父親である。
ヨハネ5:19
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。
ヨハネ6:38
わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。
現在、天の父の名前は”ヤハウェ”であったり”ヤーウェ―”または”エホバ”、”ジェホバ”というような呼び名がある。
しかし、バビロニアン・タルムードにより、御名を神殿以外で発音することを禁止されたため、最終的には1年に1回、第7の月の10日にある大贖罪日に大祭司が至聖所で口にする以外は禁止されてしまった。そして、唯一発音が許された神殿もAD70年に壊されてしまったため、正しい発音はなくなってしまったとされる。
そのため、”ヤハウェ”だとか”ヤーウェ―”だとかという論争には正解がないのである。
しかし、我々が天の父の名を出来る限り正確に知り、発音するためにはどうするべきか?
そこで我々こりふぇchurchは、現在言い伝えられている名前などはいったん脇に置き、聖書辞典である「STRONGS CONCORDANCE」から天の父のへブル名を抽出しようと試みた。
ヘブライ語というのはほとんどが子音(あいうえお以外)である。そのため、母音(あいうえお)の挿入の仕方により、たくさんの解釈が出来てしまう。
例)SKN : SaKaNa(魚)、SiKeN(試験), SeKiNe (関根)
などである。
そのためヘブライ語を読み易くするために、ある特定のヘブライ文字の上や下に点をつけることで、発音方法を表記する方法がある。
英語とは違って、ヘブライ語はほとんどが子音で書かれれているため、読者はそれぞれの子音の間に母音をつけて読む形になる。
このマッソーラー写本を書いたマッソーラーはヘブライ語がだんだん使われなくなっていくのを心配して、ヘブライ語の発音を守るために母音システムを導入し、ヘブライ語を守ろうとした。
しかし、異教徒に影響されたイスラエル人によって、意図的に母音点が替えられたことで、正しい発音が失われてしまった
(下の画像はテトラグラマトンが「イェホバ」と発音することを示す箇所)
そして、天の父なるヤフワの発音を避けるために伝統的なユダヤ人たちは、ヤフワという代わりに”アドナイ”や”主”という単語を用いた。
そのため、英語でもこの”アドナイ”という単語を訳して”LORD(主)”という言葉が生まれた。
天の父なるヤフウェの正しい発音を残そうとしたが、すべてが”アドナイ”と書かれるようになった。
しかし聖書を見ると、”アドナイ ヤフワ(主 ヤフワ)” という単語が出てくる。この聖句を”アドナイ アドナイ”とするのではなく、結果的には同じ”主”という意味を持つ”エローヒム(Elohim)”が挿入され、”アドナイ ヤフワ”から”アドナイ エローヒム”となった。
(以下は「イェホビ」と発音すると示す箇所)
上記2枚の画像にある#3068の「Yehovah(イェホバ)」,#3069「Yehovih(イェホビ)」を見てお気づきのように、これら最初の発音はどちらも「YEHO(イェホ)」となっている。
聖書の中で出てくる人物の名前の中にヤフワの名前が入っている人物のスペルを例として挙げてみると以下のようになる。
例)名前の最初にヤフワの神聖な文字がついた場合
ヨラム:イェホラム(Yehoram)
ヨシャパテ:イェホシャパテ(Yehoshaphat)
というように、他のどのような名前にもヤフワの名前から始まる文字は「イェホ」と発音されている。これは誤って「ヤフワ」の神聖な名前を口にすることがないための配慮であると考えられる。
以下「イェホ」という発音を示している例(ヘブル語は右から左に読むので注意!)
しかし興味深いことに、テトラグラマトンが人物の最後についた場合は、「ヤフ」という発音が保存されたという例もある。
これは名前の後ろで発音されることにより、間違って神聖な名前を発音することがなかったためと考えられる。
例)名前の最後にヤフワの神聖な文字がついた場合
イザヤ → yesha yahu (イザヤフ)
エレミヤ→ yirme yahu (エレミヤフ)
そのため、今日本で言われている「ヤハウェ」「ヤーウェ」「エホバ」というような名前に固執するのではなく、聖書のヘブル語辞典から、天の父の呼び名を探していきたいと思う。
テトラグラマトンの最初の2文字(ヨード+ヘイ)で終わる名前を集めた。以下のように、名前の最後にヤフワの文字が来たときは「YAH(ヤー)」と発音していることが分かる。
取り出したのは音訳の部分である。
ヘブル語は右から左に読む。上の画像は取り出した方法である。
ナンバーも記載してあるのでご自身でもご参照ください。
「ヤー」が名前の一部に入っている人物一覧( 計137個)
「ヨード」と「ヘイ」の2文字は左の表より「ヤー」と発音することが分かる。
この文字は現在の礼拝で使用されている「ハレルヤ」と同じである。つまり、
「ハレルヤ」という意味は「ヤフワに褒め歌を歌う」という意味である。
この「ハレルヤ」という単語も文章の最後にヤフワの神聖な名前が入っているため、そのままの発音が保存されたものと考える。
また、聖書では正式な名前を完全に書き表さず、「ヤー」や「ヤフ」というような短縮形もしばしば見受けられることが分かる。
では、名前の最後についた発音だけでなく、「ヨード」と「ヘイ」だけで辞書を引いてみることとする。(以下画像参照)
発音は「Yah(ヤー)」となっていることが分かる。
以上より、最初の2文字は「イェホ」ではなく、「ヤー」と発音するのが正しい。
上と同じ方法で[「ヨード」+「ヘイ」](ヤー)+「ウォウ」が名前の最後に入る人物を探した。
以下はその例である。
「ヨード+ヘイ」=「ヤー」
「ヨード+ヘイ+ウォウ」=「ヤフ」
となっていることが上の画像の発音記号から読み取れる。
同じゼカリヤでも「ゼカリヤ」と表記されていたり、「ゼカリヤフ」またはその他のスペルで表記されていることが分かる。(以下画像参照)
「ゼカリヤ」や「ゼカリヤフ」と出てきているならばどちらが本当の発音であるのか?
上の画像から見るに「ゼカリヤ」という表記が20回、「ゼカリヤフ」という表記方法が11回であることが分かる。
そのため、聖書では「ゼカリヤ」という表記方法が採用されたのではないかと考える。
しかし先ほども述べたように、ヘブル語は「ハレルヤ(ヤ:ヤフワの短縮形)」のように、文字を短縮する傾向があると考えられる。
これらの考察から申し上げると、正しいフルネームは「ゼカリヤフ」が正しいと信じる。
以下の表はゼカリヤと同様に「ゼカリヤ」や「ゼカリヤフ」というように、名前の後ろが「ヤ」であったり「ヤフ」という表記がなされている人物である。(計72個)
以上よりわれわれは「ヨード」+「ヘイ」+「ウォウ」=「ヤフ」と発音することを発見することが出来た。(省略しない場合)
つまり、「イェホ」「イェフ」という発音ではなく、また日本語の聖書で書かれているような「ヤハ」という発音でもなく、最初の3文字の発音は「ヤフ」という発音が正しいことが分かる。
では、天の父の聖なる名前は何であるのか?
3文字目までは「ヤフ」と読むことが分かったので、後は4文字目の文字「ヘイ」の発音を挿入するだけである。
ご覧のとおり、2文字目と4文字目は同じ文字である。
つまり”ア”という発音を足せばよいことになる。
つまり”ヤフ”+”ア”=”ヤフア”
これらより天の父の名は「表記:ヤフワ(発音:ヤフア)」となる。
ヤフワと表記しているのは、英語のYHWHに基づいているためである。
英語表記すると「YaHuWaH(ヤフワ)」となる。
古代の世界では、今日よりももっと人々はヤフワの名前の力を理解していた。
また理解していたからこそ、変更したり隠したりする可能性も十分にあった。
なぜならエジプトでは、名前を隠すという風習は一般的であったからである。
そして、自分の偶像の名前を知られると、敵によって逆に自分が攻撃されてしまうという恐れも持っていたことも確かである。
そのため、イスラエルの人々は異教徒の風習が入り込み、侵略する敵からヤフワ様の名前を隠そうとした
そして、バビロンとの戦争中やバビロン捕囚の際にいと高きヤフワの名前が異教徒によって汚されないように隠したという可能性も大いにあり得る。
しかし、実際はイスラエルの民はヤフワ様に従うことなく、太陽神を拝むことをやめなかったため、バビロンに捕囚されたことを覚えておかなければならない。
昔エレミヤという預言者がいたが、その本当の名前はYiremYAHU(エレミヤフ)といい、その意味は「いと高きヤフワ」という意味だが、イスラエルがバビロンに落ちる最後の日であっても、ヤフワ様に忠実な唯一の預言者であった。
聖書では、ヤフワの名前をすべての国民に告げ知らせよ。そして、その御名に褒め歌を歌い、賛美せよと書かれている。
どんな歴史的理由があったとしても、サタンはヤフワ様の中には天地万物宇宙を創造された偉大な力があることを誰よりも理解していた。そして、また悪霊はその名を信仰によって呼び求めると、平安のうちにすべての祈りが答えられることも知っていた。
それらの名前が、異教徒の風習によって、また偶像礼拝によって隠され、聖徒たちに忘れられたことはさぞ悪霊は喜んだことであろう。
しかし、私たちにとって問題があるときに助けてくださるその唯一の名前をかくす理由は何一つない。
救いはヤフシュア様を信じてヤフワ様を信じることからくるものであり、聖書に従ってその名を呼び求めるにはすべての者がその名前を知っておく必要がある。
また、終わりの時にはすべてが明らかになる。
つまり、この真理が私たちに明らかにされたということは、この名前を用いないと乗り越えることができない世の終わりが迫っていると言い換えることができる。
黙示録には、ヤフワにつくもの、悪につくものにわかれると書いてある。
そして、この終わりの時にヤフワ様は長く忘れられていたご自身の名前を明らかにされる。
ヨエル2:32
しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。
詩編20:7
ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。
以下はまとめの図である
<またこちらの動画もどうぞ(英語ですが...)>