さて、レビ23章を見ると6つの祭りは日が指定されているにも関わらず、唯一五旬節については日にちが指定されていない祭りであることに気が付く。
レビ23:15-16
23:15 あなたがたは、安息日の翌日(第1の月16日)から、すなわち奉献物の束を持って来た日(初穂の祭り)から、満七週間が終わるまでを数える。
23:16 七回目の安息日の翌日まで五十日を数え、あなたがたは新しい穀物のささげ物を主にささげなければならない。
上記の7週間を数えるという聖句から「五旬節」は「七週の祭り」とも呼ばれている。そのため、現在のクリスチャンのカレンダーではイースターの約50日後である5月頃の日曜日にペンテコステとして祝われている。
この単純に日にちを数えるという五旬節の祭りにおいて、人智をはるかに超えたヤフワ様の隠された知恵があることに気がづく。この聖書の真理の扉を開いてくださったのは我らの救い主なるヤフシュア様である。
マタイ7:7-8
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
箴言4:23-27
力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。
偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。
あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。
あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。
右にも左にもそれてはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ
真のペンテコステの日はいつであるのか。
詳しくは以下の記事から聖書と歴史書を基に探っていくこととする。
五旬節というのは、聖書で明確に日付が記載されていないため、各礼拝者が計算をしなければいけないヤフワ様の例祭である。数え方は聖書のレビ記23章から単純に読み取ると、「七週間を数える。そして、その翌日の50日目が五旬節である」と解釈することができる。
上記にならい、聖書歴である太陰太陽暦を用いて50日を数えると、第3の月の9日である。また、現代のカレンダーであるグレゴリオ暦で数えると5月頃になる。
ここでの注意点としては、聖書の解釈というのは一つの聖句から判断するのではなく、聖句全体で調和を保つものであることを心に留めておく必要がある。
そのため一つの聖句から無理やり解釈を探すのではなく、聖書全体にちりばめられた真理を
見つけ出すため、他の聖書箇所からの解釈でも辻褄が合うかの確認を行っていく。
では他の聖句を参照する前に五旬節の祭りの開催時期と開催目的を以下に記載する。
【基本情報】
①初穂の祭り
日時:第1の月16日 主に大麦の収穫祭である。
②五旬節
日時:未定 主に小麦の収穫祭である。
[五旬節の収穫物 参照聖句]
出エジプト34:22
小麦の刈り入れの初穂のために七週の祭りを、年の変わり目に収穫祭を、行なわなければならない。
初穂の祭りというのは大麦の収穫祭、五旬節(七週の祭り)は小麦の収穫祭であることを頭の
片隅において以下の記事に進んでもらいたい。
■新約聖書での記述①
ヨハネ4:35
あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。
この聖句だけでは何の祭りを指しているかはわからないので続けて聖句を参照することとする。
ヨハネ5:1
その後、ユダヤ人の祭りがあって、ヤフシュアはエルサレムに上られた。
以下にヤフワの例祭についての情報を整理した。
【日にち】
①過ぎ越し 第一の月14日
②種なしパンの祭り 第一の月15日~21日
③初穂の祭り 第一の月16日
④五旬節 未定
⑤ラッパ祭 第七の月1日
⑥大贖罪日 第七の月10日
⑦仮庵の祭り 第七の月15日~21日
※太陰太陽暦の一年間:12ヵ月~13ヵ月
上記の中で収穫祭として位置づけられるのは③初穂の祭り、④五旬節、⑦仮庵の祭りの
三つである。
その中でも例祭の四カ月後に収穫祭がある祭りは①過越しの祭りと想定されるので、ヨハネの
聖句でのエルサレムの祭りは第一の月の例祭であると推測される。
過越しの祭りというのは例年3-4月に行う祭りのことである。
ヨハネの聖句から収穫まで四カ月というのは周知の事実であり、この発言に対して弟子たちも
反論していないことが読み取れる。
つまり3月~4月に開催される過越しの祭りから4カ月目、つまり7月頃であると察しがつく。
また1881年に発行された「ギリシャ語原語による新約聖書」フェントンによる訳を参考に
記載する。
ヨハネ4:35
第四の月に収穫があると思っていませんか?畑を見なさい
つづけて他の聖句にて確認を行う。
■旧約聖書での記述①
出9:29-32
モーセは彼に言った。「私が町を出たら、すぐにヤフワ様に向かって手を伸べ広げましょう。そうすれば雷はやみ、雹はもう降らなくなりましょう。この地がヤフワ様のものであることをあなたが知るためです。
しかし、あなたとあなたの家臣が、まだ、創造主であるヤフワ様を恐れていないことを、私は知っています。」
――亜麻と大麦は打ち倒された。大麦は穂を出し、亜麻はつぼみをつけていたからである。
しかし小麦とスペルト小麦は打ち倒されなかった。これらは実るのがおそいからである。――
これはエジプトへの10の災いのうちの一つである雹の災害についての記述である。
雹の災いの後に過越しの祭りがあることと大麦の穂が実っていることから第一の月の前半での 出来事の記述と想定できる。
また小麦は穂が成熟するのに3.5ヵ月~4ヵ月ほどかかるとされている。
■旧約聖書での記述②
出23:16
23:16 また、あなたが畑に種を蒔いて得た勤労の初穂の刈り入れの祭りと、年の終わりにはあなたの勤労の実を畑から取り入れる収穫祭を行なわなければならない。
レビ23:10
23:10 「イスラエル人に告げて言え。わたしがあなたがたに与えようとしている地に、あなたがたがはいり、収穫を刈り入れるときは、収穫の初穂の束を祭司のところに持って来る。
これは約束の地であるカナンでの描写である。カナンに入ったときの捧げものとしては自分で
畑に種を蒔いて得た勤労の初穂との記述がある。
ではカナンの地にはいつ入ったのであろうか。
ヨシュア5:10-12
5:10 イスラエル人が、ギルガルに宿営しているとき、その月の十四日の夕方、エリコの草原で
彼らは過越のいけにえをささげた。
5:11 過越のいけにえをささげた翌日、彼らはその地の産物、「種を入れないパン」と、炒り麦
を食べた。その日のうちであった。
5:12 彼らがその地の産物を食べた翌日から、マナの降ることはやみ、イスラエル人には、もう
マナはなかった。それで、彼らはその年のうちにカナンの地で収穫した物を食べた。
カナンの地に入ったのは大体第一の月の過越しの祭りあたりであるとわかる。
つまり小麦を第一の月に蒔いたとしても第三の月が五旬節であれば小麦の収穫は不可能であると想定される。
五旬節というのは小麦の収穫祭であるのと同時に、十戒をヤフワ様から与えられた日であり、
新約の時代においてはヤフシュア様の昇天された後に弟子たちに聖霊が下った記念すべき日
でもある。
では十戒が与えられた日は聖書でどのように記述されているかを詳しく見ていくことにする。
民33:3
彼らは第一月、その月の十五日に、ラメセスから旅立った。すなわち過越のいけにえの翌日、イスラエル人は、全エジプトが見ている前を臆することなく出て行った。
聖句に基づくと出エジプトしたのは第一の月15日、つまり初穂の祭り(第一の月16日)の前日である。
その後も聖書は出エジプトをしたイスラエル人が旅を続けて二ヵ月後の第三の月に荒野に
入ったと記録している。
出エジプト19:1
エジプトの地を出たイスラエル人は、第三の月の新月のその日に、シナイの荒野にはいった。
ここで注意が必要である。新改訳では第三の月の新月の日とあるが、他の訳を見ると解釈が異なっていることが分かる。
新月の日と訳しているのは新改訳のみで、他の訳では第三の月15日にシナイの荒野に入ったと訳されているのである。
ここでは新改訳の訳ではなく、他の訳を基にシナイの荒野に入ったのは第三の月15日と
解釈するのが正しい。
ではシナイの荒野に入った時点で、出エジプトした安息日の翌日からどれだけの日が経っているのか確認を行いたいと思う。
【検証日時】
スタート:第一の月16日
ゴール :第三の月15日
左の図は太陰太陽暦に基づく暦である。
このカレンダーを基に出エジプト翌日である第一の月16日からシナイの荒野に到着した日を計算するとシナイの荒野に到着した時点で「7週と7日」が経っていることが分かる。
※注意:ここで1日と30日は新月の祭り、月の調整日であるため、週としては計算を行わない。しかし、後の50日を計算するときは考慮する必要がある。
続けて読み進めていくと聖書は十戒を授けられた正確な日付けを記録している。
出エジプト19:10-11
19:10 ヤフワはモーセに仰せられた。「あなたは民のところに行き、きょうとあす、彼らを聖別し、自分たちの着物を洗わせよ。
19:11 彼らは三日目のために用意をせよ。三日目には、ヤフワが民全体の目の前で、シナイ山に降りて来られるからである。
イスラエルの民は三日間の清めの後、ヤフワ様の御声と雷・稲妻・角笛・煙る山を目撃し、
モーセにヤフワ様が直接語り掛けないようにお願いしたのである。
出20:18-21
20:18 民はみな、雷と、いなずま、角笛の音と、煙る山を目撃した。民は見て、たじろぎ、遠く離れて立った。
20:19 彼らはモーセに言った。「どうか、私たちに話してください。私たちは聞き従います。しかし、ヤフワが私たちにお話しにならないように。私たちが死ぬといけませんから。」
20:20 それでモーセは民に言った。「恐れてはいけません。ヤフワが来られたのはあなたがたを試みるためなのです。また、あなたがたにヤフワへの恐れが生じて、あなたがたが罪を犯さないためです。」
20:21 そこで、民は遠く離れて立ち、モーセはヤフワのおられる暗やみに近づいて行った
つまりこの時点で初穂の祭りから「7週+7日+3日」が経っていることが分かる。
その後、モーセはヤフワの戒めをいただくためにシナイ山に登ったことが記録されている。
申命記9:9-11
9:9私が石の板、主があなたがたと結ばれた契約の板を受けるために、山に登ったとき、私は四十日四十夜、山にとどまり、パンも食べず、水も飲まなかった。
9:10 その後、ヤフワは神の指で書きしるされた石の板二枚を私に授けられた。その上には、あの集まりの日に主が山で火の中から、あなたがたに告げられたことばが、ことごとく、そのまま書かれてあった。
9:11 こうして四十日四十夜の終わりに、ヤフワがその二枚の石の板、契約の板を私に授けられた。
しかし聖書にはモーセが十戒をもらう間のイスラエルの民の堕落っぷりも記している。
出32:1-8
32:1 民はモーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見て、アロンのもとに集まり、彼に言った。「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」
32:2 それで、アロンは彼らに言った。「あなたがたの妻や、息子、娘たちの耳にある金の耳輪をはずして、私のところに持って来なさい。」
32:3 そこで、民はみな、その耳にある金の耳輪をはずして、アロンのところに持って来た。
32:4 彼がそれを、彼らの手から受け取り、のみで型を造り、鋳物の子牛にした。彼らは、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ。」と言った。
32:5 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。そして、アロンは呼ばわって言った。「あすはヤフワへの祭りである。」
32:6 そこで、翌日、朝早く彼らは全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえを供えた。そして、民はすわっては、飲み食いし、立っては、戯れた。
32:7 主はモーセに仰せられた。「さあ、すぐ降りて行け。あなたがエジプトの地から連れ上ったあなたの民は、堕落してしまったから。
32:8 彼らは早くも、わたしが彼らに命じた道からはずれ、自分たちのために鋳物の子牛を造り、それを伏し拝み、それにいけにえをささげ、『イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ。』と言っている。」
ここまでの日数を計算すると「7週+7日+3日+40日」つまり「7週+50日」の日に聖書ではヤフワの祭りが開催されたことに加えて十戒が与えられたとの記述がある。
またアロンは、「明日はヤフワへの祭り」であるといっている。
ヤフワは出32:7-8から、通常の祭りと異なる日付をアロンが祭りの日として宣言したことに
怒ったのではなく、民が金の子牛を作って偶像礼拝しようとしたことに怒りを覚えられた。
これはシナイ山でヤフワが直接イスラエル人に語られて恐れおののいた40日後であった。
そして、アロンが祭りの日であるといったその日、モーセは十戒を授けられた。
繰り返し記述するが、この「7週+50日」という数字は聖書歴に基づく太陰太陽暦に基づかなければ計算できないということを覚えておいてもらいたい。
ではここで旧約と新約での五旬節の違いと意味について詳しく見ていきたいと思う。
【対比①】
■旧約:ヤフワはモーセにヤフワの指によって書かれた十戒をもって降りるように言われた
出32:16
32:16 板はそれ自体ヤフワの作であった。その字はヤフワの字であって、その板に刻まれていた。
■新約:十戒を授けられた日であるペンテコステに集まった兄弟姉妹にヤフワの霊を注がれた
使徒2:1-4
2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
【対比②】
■旧約:偶像礼拝のゆえに3000人が倒れた
出32:25-28
32:25 モーセは、民が乱れており、アロンが彼らをほうっておいたので、敵の物笑いとなっているのを見た。
32:26 そこでモーセは宿営の入口に立って「だれでも、ヤフワにつく者は、私のところに。」と言った。するとレビ族がみな、彼のところに集まった。
32:27 そこで、モーセは彼らに言った。「イスラエルの創造主、ヤフワはこう仰せられる。おのおの腰に剣を帯び、宿営の中を入口から入口へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ。」
32:28 レビ族は、モーセのことばどおりに行なった。その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた。
■新約:ペテロの言葉によって3000人が救われた。
使徒2:40-41
2:40 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。
2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
旧約ではイスラエルの民の背信により3000人に裁きが下されたが、新約ではそれを取り戻すように3000人が救われたのである。
また御霊により人生が変えられ、ヤフワ様に仕えることの素晴らしさをパウロは記している。
Ⅱコリント3:6-8
3:6 ヤフワは私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。・・・
3:7 もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る
栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることができなかったほどだと
すれば、
3:8 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。
レビ23:15-16
23:15 あなたがたは、安息日の翌日から、すなわち奉献物の束を持って来た日から、満七週間
が終わるまでを数える。
23:16 七回目の安息日の翌日まで五十日を数え、あなたがたは新しい穀物のささげ物をヤフワ
にささげなければならない。
ではレビ記の記述が誤っていることになるのだろうか。
ここからはヘブライ語の聖句をもって確認を行うことにする。
※ヘブライ語は右から左に読むので注意が必要である。
ここから何が読み取れるか。
ヘブライ語には記載のある前置詞が聖句で訳されていないことが分かる。
訳されていないのは「H4480」:From , Since 「から」という訳である。
この前置詞を訳すとレビ記は以下の訳になる。
レビ23:15-16
23:15 あなたがたは、安息日の翌日から、すなわち奉献物の束を持って来た日から、満七週間
が終わるまでを数える。
23:16 (そこから)七回目の安息日の翌日まで五十日を数え、あなたがたは新しい穀物のささげ物
をヤフワにささげなければならない。
つまり「7週+3日+7日+40日」=「7週+50日」になるのである。
これは太陰太陽暦でしか整合性のとれない日付である。
以上の検証結果から五旬節を数えると以下のとおりの日付になる。
つまり最初に示したフェントンの訳のとおり、第四の月に五旬節の日が割り当てられていることが明らかとなったのである。
ヨハネ4:35
第四の月に収穫があると思っていませんか?畑を見なさい
これまでの検証結果をまとめた図を以下に掲載する。聖書全体で整合性を見てみると、これまでの50日後の第三の月に五旬節があるのではなく、①「第4の月28日」もしくは②「第4の月29日」に五旬節があると私たちは信じる。
[参考]
日付が2通りあるのは第3の月に30日が挿入されるか挿入されないかに起因する。
また以下の図は7つの祭りを太陰太陽暦に基づいて記載したカレンダーである。
見事な規則性をもって新月の日、安息日、祭りが決定されていることが分かる。
この真理は人間が誇るものではなく、ただヤフワ様の恵みによるものである。
真の安息日に加えて、真の五旬節を与えてくださったヤフワ様にすべての栄光を帰し
感謝します!アーメン!!