エレミヤ10:25
あなたを知らない諸国の民の上に、あなたの御名を呼ばない諸氏族の上に、あなたの憤りを注いでください。彼らはヤコブを食らい、これを食らって、これを絶滅させ、その住まいを荒らしたからです。
詩編74:10
神よ。いつまで、仇はそしるのでしょうか。敵は、永久に御名を侮るのでしょうか。
旧約聖書によるとイスラエルの民は、天の父であり創造主であるヤフワ(へブル名)にひれ伏しつつ、他の偶像にも仕えていた。
そのため、ヤフワ(へブル名)の怒りは何度もイスラエルの民をうち、災いが何度も地上を襲ったことがわかる。
旧約聖書を見ると、ある王はヤフワに従い、また別の次の王は全く従わない人間の様子が描かれている。
そのため、救い主であられるヤフシュア様(へブル名)が人間に対してされている警告を新約でも見つけることができる。
マタイ15:3
そこで、ヤフシュア(へブル名)は彼らに答えて言われた。「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒め(モーセの律法)を犯すのですか。
マルコ7:7-8
彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』
あなたがたは、神の戒め(モーセの律法)を捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」
マルコ7:3-4
――パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人たちの言い伝え(人間の教え)を堅く守って、手をよく洗わないでは食事をせず、
また、市場から帰ったときには、からだをきよめてからでないと食事をしない。まだこのほかにも、杯、水差し、銅器を洗うことなど、堅く守るように伝えられた、しきたりがたくさんある。――
ここでは、ヤフワの律法に従わないことによる災いが描かれている。その原因は「ヤフワの律法」に「人間的な教え」や「しきたり」を付け加え、さらに「人間の教え」を「ヤフワの律法」よりも守るべきものとして順位付けしてしまったことが根底にあることが読み取れる。
現在の私たちの風習もこれに当てはまらないわけではない。
聖書で見たことのない風習、昔からそういうように行ってきたからということで、その起源を調べず、聖書の教えから離れてしまったものが多く見受けられる。
それは救い主ヤフシュア様の時代でも同じであった。
確かにモーセ五書にもしきたりがたくさんあるが、それに加えて人間的なしきたりも付け加えたものが、新約聖書で言われている「昔の人たちの言い伝え」(タルムード)である。
この時代は、父なるヤフワの律法より、時代を経るごとに人間がヤフワの律法に付け加えていった「人間の伝統」に従わなかればならないという考えであった。
これらの「人間の教え」は「ヤフワの律法(モーセ五書)」を無効のものとした。(マルコ7:3,8 マタイ15:3)と書かれてある通りである。
この新約聖書で書かれている「昔の人たちの言い伝え」や「人間の教え」とは具体的に一体何のことを指しているのであろうか?
「STRONG'S COMPLETE DICTIONARY」という辞典で「伝統」という言葉
「#3862 paradosis」を参照した結果がこちらである。
TRADITION(伝統):G3862
specifically THE JEWISH traditionary LAW(具体的にはユダヤ人の法律である)
「伝統」や「人間の教え」というのは、つまりユダヤ人の法律、つまり旧約聖書やモーセ5書のことではなく、具体的にはバビロニアン・タルムードとして知られている人間の法律のことである。
マラキ書を見てみると、明確にイスラエルの祭司が人間の法律に従うことによって起こった堕落に対して、ヤフワ様が激怒しているのが分かる。
マラキ1:6-8
1:6 「子は父を敬い、しもべはその主人を敬う。もし、わたしが父であるなら、どこに、わたしへの尊敬があるのか。もし、わたしが主人であるなら、どこに、わたしへの恐れがあるのか。――万軍の主は、あなたがたに仰せられる。――わたしの名をさげすむ祭司たち。あなたがたは言う。『どのようにして、私たちがあなたの名をさげすみましたか。』と。
1:7 あなたがたは、わたしの祭壇の上に汚れたパンをささげて、『どのようにして、私たちがあなたを汚しましたか。』と言う。『主の食卓はさげすまれてもよい。』とあなたがたは思っている。
1:8 あなたがたは、盲目の獣をいけにえにささげるが、それは悪いことではないのか。足なえや病気のものをささげるのは、悪いことではないのか。さあ、あなたの総督のところにそれを差し出してみよ。彼はあなたをよみし、あなたを受け入れるだろうか。――万軍の主は仰せられる。――
マラキ書から読み取れるヤフワの怒りは主に下の三つである。
1 父であるヤフワの名前を蔑んだこと(マラキ1:6)
2 祭壇上に穢れたパンを置いたこと(マラキ1:7)
3 盲目のいけにえを捧げたこと(マラキ1:8)
この時の祭司達は堕落により、ヤフワの御心であることと御心でないことの判別もつかなくなっていることが読み取れる。
マラキ書の中で最も激怒していることが、「ヤフワの御名をさげすんだこと」である。
では、この御名をさげすむ行為とはいったい何のことを指すのだろうか?
人間の法律であるバビロニアン・タルムードを見てみると、ヤフワの御名に関するいくつかの規則の記述があるのが見て取れる。
①ヤフワの名は「アドナイ」に置き換えること
”その時以来祭司はヤフワの名前でイスラエルを祝福することをやめ、「アドナイ(主)」という言葉を使用した。”
(出典:Babylonian Talmud,TRACT YOMAH,(DAY OF ATONEMENT),CHAPTERⅣ,Pg.60)
②食事の時間にヤフワの名を話してはいけない
”食事の後に恵みを述べるものは神聖な名前を使用してはいけない”
(出典:Babylonian Talmude,TRACT MEGILIA,CHAPTER Ⅲ,Pg.64)
③ヤフワの名前は神殿の外では話してはいけない
”ヤフワという発音を神殿の外でしてはならない。”
(出典:Babylonian Talmud,TRACT YOMAH,CHAPTER Ⅶ,Pg.100)
④誰でも神聖な名前を使用することは冒涜の罪が課せられる
”ミシュナ― Ⅵ:ヤフワという正確な名前を発音すると冒涜罪である”
(出典:TRACT SANHEDRIN(SUPREME COUNCIL),CHAPTERⅦ,Pg.166,(RULES AND REGULATIONS CONCERNING HOW THE EXAMINATION CONCERNING BLASPHEMY SHOULD BE CONDUCTED)
⑤誰でも神聖な名前を口にしたものは有罪であり、処刑される
”しかし、主の名前を発音したものは死刑に処せられる”
(出典:Babylonian Talmud,CHAPTER Ⅶ,Pg.166,(HOW THE EXAMINATION CONCERNING BLASPHEMY SHOULD BE CONDUCTED))
⑥ノアの子孫はヤフワの名前を呼ぶことや神聖な名前のタイトルを呼んでもいけない
”ノアの子供の1人であるなら、エローヒム、エロア、エル、シャダイなどのどんなペンネームを使用しても冒涜に当たる。それがたとえラビであったとしても死刑に処せられる。”
(出典:Babylonian Talmud,CHAPTER Ⅶ,Pg.167, HOW THE EXAMINATION CONCERNING BLASPHEMY SHOULD BE CONDUCTED)
⑦例え聖句に神聖な名前が書いてあったとしても、ヤフワの名前を話してはいけない
”265:1 聖句に名前が書いてあったとしても、ヤフワの名前を話すことは禁じる。そして、読むときは「アドナイ(主)」と言わなければならない”
(出典:Babylonian Talmud,Footnotes:END OF TRACT SANHEDRIN,PART Ⅱ,(HAGGADA),END OF VOLUME ⅩⅥ)
⑧「アドナイ」と言わずにヤフワと発音したものは焼かれ、家族も罰を受ける
”ヒナニ ビー トラディアンは燃やされるべきであり、妻は殺されるべきであり、娘は売春婦の家に連れていくべきだ(彼は「アドナイ」と言わずに書いてある通りヤフワの名前を話したため)”
(出典:Babylonian Talmud,TRACT ABUDA ZARA (IDOLATRY),CHAPTERⅠ、Pg.31)
マラキ2:1-3
祭司たちよ。今、この命令があなたがたに下される。
もし、あなたがたが聞き入れず、もし、わたしの名に栄光を帰することを心に留めないなら、――万軍の主は仰せられる。――わたしは、あなたがたの中にのろいを送り、あなたがたへの祝福をのろいに変える。もう、それをのろいに変えている。あなたがたが、これを心に留めないからだ。
見よ。わたしは、あなたがたの子孫を責め、あなたがたの顔に糞をまき散らす。あなたがたの祭りの糞を。あなたがたはそれとともに投げ捨てられる。
私たちはこの旧約の時代から悪しき風習である、ヤフワの忌み嫌われるヤフワの御名に栄光を帰さないことを現在も続けてしまっている。
つまり、ヤフワの栄光ある御名を隠してしまうことによって、名前を蔑み、意味のないものにしてしまっているのである。
マラキ書では、ヤフワはこの悪に対して、呪いを宣告されたのである。
マラキ2:5-6
わたし(ヤフワ)の彼(レビ)との契約は、いのちと平和であって、わたしは、それらを彼に与えた。それは恐れであったので、彼は、わたしを恐れ、わたしの名の前におののいた。
彼の口には真理の教えがあり、彼のくちびるには不正がなかった。平和と公正のうちに、彼はわたしとともに歩み、多くの者を罪から立ち返らせた。
トーラー(ヤフワの律法)の真実とは以下のことである
ネヘミヤ9:13-14
あなたはシナイ山の上に下り、天から彼らと語り、正しい定めと、まことの律法、良きおきてと命令を彼らにお与えになりました。
あなたの聖なる安息を彼らに教え、あなたのしもべモーセを通して、命令とおきてと律法を彼らに命じられました。
このヤフワから頂いたトーラー(ヤフワの律法)をイスラエルの子らは人間的な規則を付け加え、ヤフワの律法よりも従うべきものとした。
ローマ2:21-24
2:21 どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。盗むなと説きながら、自分は盗むのですか。
2:22 姦淫するなと言いながら、自分は姦淫するのですか。偶像を忌みきらいながら、自分は神殿の物をかすめるのですか。
2:23 律法を誇りとしているあなたが、どうして律法に違反して、神を侮るのですか。
2:24 これは、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている。」と書いてあるとおりです。
イザヤ52:5
さあ、今、ここでわたしは何をしよう。――主の御告げ。―― わたしの民はただで奪い取られ、彼らを支配する者たちはわめいている。――主の御告げ。――また、わたしの名は一日中絶えず侮られている。
しかし、ヤフワ様の力強い預言は以下のように続いている
イザヤ52:6
それゆえ、わたしの民はわたしの名を知るようになる。その日、『ここにわたしがいる。』と告げる者がわたしであることを知るようになる。」
つまり、ヤフワ様の選ばれた者はヤフワの名を知り、その意味を理解し、恐れ、尊ぶようになるという素晴らしい預言である。
また新約の時代にヤフシュア様はパリサイ人に言われた。
マタイ15:7-9
偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。
『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。
彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」
これはイザヤで言われているとおりである
イザヤ29;13
そこで主は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。
ここで繰り返し言われているのは人の教えを教え、ヤフワの力強い御名を他の言葉に変更してしまうことによって、力のないものとしてしまっていることである。
マラキ3:16-18
3:16 そのとき、主を恐れる者たちが、互いに語り合った。主は耳を傾けて、これを聞かれた。主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、主の前で、記憶の書がしるされた。
3:17 「彼らは、わたしのものとなる。――万軍の主は仰せられる。――わたしが事を行なう日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。
3:18 あなたがたは再び、正しい人と悪者、神に仕える者と仕えない者との違いを見るようになる。
ハレルヤ!
ヤフワを恐れ、ヤフワの御名を尊ぶものたちのためにヤフワの前で記憶の書が記されることを感謝いたします。
マラキ4:1-3
4:1見よ。その日が来る。かまどのように燃えながら。その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行なう者は、わらとなる。来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。――万軍の主は仰せられる。――
4:2 しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、癒しがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。
4:3 あなたがたはまた、悪者どもを踏みつける。彼らは、わたしが事を行なう日に、あなたがたの足の下で灰となるからだ。――万軍の主は仰せられる。――
新約の世界でもヤフワの御名の重要性は変わらなかった。
ヨハネ17:4-6
あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。
今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。
わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さいました。彼らはあなたのみことばを守りました。
ヨハネ17:12
わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためです。
ヨハネ17:14
わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。
ヨハネ17:26
そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」
ヤフシュア様がされたこと
1 ヤフワの御名を知らせること
2 ヤフワの御名を明らかにすること
3 ヤフシュア様についてくる人々をヤフワ様の御名の中に保つこと
もしこの時代にヤフワ様の名前が重んじられ、人々がヤフワ様の御名を知っているのであれば、どうしてヤフシュア様はヤフワ様の御名を明らかにする必要があったのだろうか?
現在でもそれは同じである
ヤフワ、ヤーウェ―、ヤハウェ、ヤフウェなど呼び名はいろいろ存在するが、誰も天の父なるヤフワ様の御名を口にして礼拝することをしていない。
”父”や”神”、”主”というだけである。
その結果、ヤフワの神聖な名前は忘れ去られ、救い主に至っては元の聖なる御名からかけ離れた名前が使用されているのが現状であるのが分かる。
エレミヤ23:27
彼らの先祖がバアルのためにわたしの名を忘れたように、彼らはおのおの自分たちの夢を述べ、わたしの民にわたしの名を忘れさせようと、たくらんでいるのだろうか。
バールとは?
”「主」という意味、太陽神”
(出典:WEBSTER'S TWENTIETH CENTURY DICTIONARY)
果たしてヤフワの名前を神聖なものとして口にしない代わりに、”バール”や”主”と呼んでもよいものだろうか?
詩編113:1-3
ハレルヤ。主のしもべたちよ。ほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ。
今よりとこしえまで、主の御名はほめられよ。
日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。
へブル13:15
ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。
詩編102:21
人々が、主の名をシオンで語り、エルサレムで主を賛美するために。
ヨエル2:32
しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。
悪霊サタンはヤフワの聖い力強い名前を呼ぶことを忌み嫌っている。
この悪霊の惑わしに惑わされてはならない。
ヤフワ様は全能なる御名をお持ちのお方である。
その聖なる御名を呼び求めることはクリスチャンにとって非常に重要なことであることがわかるはずである。
いまこそ仮の名前ではなく、本当の御名で礼拝し、御名に栄光を帰す時です!ハレルヤ!