ヨハネ1:1-5
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
愛された弟子であるヨハネの荘厳な言葉は、人間の救い主の性質であり使命であった罪という心の闇に対して心を開く力を持っている。
これらの言葉は以前から救い主が存在し、そして創造の働きにおいて永遠なる父ヤフワ様と一つであったことを言っている。
永遠なる過去において、またすべての知識の中において、息子は父と一つであった。
その息子はヤフワ様を映し出した方である。
天の父なるヤフワ様の思いや考えを明らかにされた方もある。
アダムとエバがエデンの園で善悪の知識の実を食べて罪に落ちた後、人間はヤフワ様の無限の自己犠牲の性質がはっきりとわからなくなってしまった。
ヤフワ様の性質は恐れや恐怖でとらえられるようになった。
救い主が人の形をとったことは父ヤフワ様の愛の表れであった。
もし父であるヤフワ様ご自身が天から降りてきて地球で住まわれたなら、ヤフワ様の栄光を隠しすべての人がヤフワ様を見ることができるように人の形をとられたであろう。
私たちが持っている救い主の生活は、私たちと全く違いがなかった。
御子の行動のすべてにおいて、教えられる教訓のすべてにおいて、やさしさや許しの言葉、行いのすべてにおいて、私たちは父であるヤフワ様を見たり聞いたりできる。
すべてにおいて特に、御子の人生はもし父であるヤフワ様が人間であったならこのようにするであろうということを明らかにすることであった。
その救い主の名前は特別である
聖書は息子のことについて記述している。
へブル1:4
御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。
御子が誕生される前、ヤフワ様はモーセと以下の保証を携えて会われた。
以下の聖句から御子は天使の姿を取ってたびたび旧約聖書に現れたことが分かる。
出23:20-21
見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、あなたを道で守らせ、わたしが備えた所にあなたを導いて行かせよう。
あなたは、その者に心を留め、御声に聞き従いなさい。決して、その者にそむいてはならない。わたしの名がその者のうちにあるので、その者はあなたがたのそむきの罪を赦さないからである。
永遠の父の名前はヤフワである、そしてその神聖さを表す名前は愛する息子の名前の中にもある。
その名前はヤフシュアである。
ヤフシュアという名前の意味は 「ヤフワは救い」「ヤフワは救う」という意味である
この名前はガブリエルによってメシアの母親であるマリアに与えられた。
そしてメッセージを伝えた。
「Aramic English new testament」 のルカ1:26-32にはヤフシュアと書いてある。
ヤフシュアという名前の美しさは。その中に含まれている「ヤフワ様は救われる」という意味に見ることができる。
しかし、ほとんどの名前はその意味は翻訳されず、その代わりに同じような音を持つ単語に置き換えられた。
このように、現在呼ばれている名前の意味はほとんど失われてしまっている。
救い主の名前を呼ぶためには、呼ぶための正確な名前を知らなければならない。
その名前は”イエス”または”ジーザス”ではなくヤフシュアである。
ちょうど父ヤフワという個人的な名前がその性質と関係性を表しているのと同様に、救い主の名前であるヤフシュアという名前は人々を救うための使命があらわれている。
ヤフワ様はこの世界が愛の父であるヤフワ様の性質の知識を取り戻すため、心にかかるサタンの欺きの力を打ち壊された。
しかしながら、これは力づくで強制的に行われたのではない。
サタンの政治の要は「暴力」と「恐怖」であるのに対して、ヤフワ様は「愛の奉仕」だけをのぞんでおられる。
愛は力づくでされるべきではない。強制されたり命令されたりするものでもない。
愛によってのみ、愛にめざめるのである。
なぜならヤフワ様を知ることはヤフワ様を愛することだからである。
悪霊の性質とは反対に、ヤフワ様の性質は人々に明らかにされなければならない。
ヤフワ様を明らかにする働きは御子であるヤフシュア様によってのみ可能であった。
それはヤフシュア様のみがヤフワ様の愛の深さ、高さそして広さを知っていたからである。
すべての優しいまなざし、すべての愛の行動、すべてのヤフシュア様の許しの言葉は、もしヤフワ様が人間であったならばどのように行動されたのかを示している。
救い主であられるヤフシュア様ご自身が明らかに言及されている。
ヨハネ5:43
わたしはわたしの父の名によって来ました
ヨハネ14:9
ヤフシュア様は彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。
まさに「ヤフワは救われる」という名前のヤフシュア様は約束された。
ヤフシュア様の人間性によって、ヤフシュア様は人間に触れられた。
ヤフシュア様の神性によって、ヤフワ様の右の御座に座られている。
わたしのようであれというように、ヤフシュア様は従順の例を私たちに示された。
そしてヤフワ様の1人子のように、ヤフワ様は私たちに従順する力をくださる。
ヨハネ14:6
私は道であり真理であり命です。誰も私を通らないで御父であるヤフワ様のもとに行くことはできません
ヤフシュア様はおっしゃいます
私はすべての約束の保証である。私はあるものだ。恐れてはならない。
ヤフシュア様は私たちを罪から贖いだしてくださった保証であられます。
また、ヤフワ様に従うための私たちの力の約束であります。
麗しい名前の「ヤフワは救われる」という意味のヤフシュア様はそれ自体が救いと助けの約束であられます。
使徒4:12
この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
聖書ではすべてを約束しておられます。
へブル7:25
したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。ヤフシュアはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
ヤフワ様は私たちを救いたいと願っている。
これが一人息子であるヤフシュア様を私たちにくださった理由である。
ローマ8:1
こういうわけで、今は、ヤフシュアにある者が罪に定められることは決してありません。
ヨハネ6:37-39
父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。
わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。
わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。
ヨハネ3:16-17
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
使徒4:12
この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
使徒10:43
ヤフシュアについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」
ピリピ2:9-11
それゆえ、神は、ヤフシュアを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、ヤフシュアの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
すべての口が、「ヤフシュアは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
第1ヨハネ3:23
神の命令とは、私たちが御子ヤフシュアの御名を信じ、ヤフシュアが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。
しかし現代ではどのような呼び方がされているだろうか。
今日私たちの救い主に使われている名前は「イエス」である。
しかし、英語では「Jesus(ジーザス)」と表記されている。
これは一見普通のことのように思えるが、ここで
1611年に発行された欽定訳をみると以下のような表記方法であることが確認できる。
1枚目 キリストはJesus(ジーザス:現在の英語表記)のはず
(Iesus(イェスース:1611年の聖書表記)?...)
2枚目 ヨハネはJohn(ジョン:現在の英語表記)のはず
(Iohn(イヨン:1611年の聖書表記)?...)
なぜ数百年のうちにIesusがJesusになり、IohnがJohnになることがあろうか?
なぜ名前を変更する必要があるのだろうか、なぜ数百年の間に名前が変更されなければならないのかという疑問が、こりふぇchurchの聖書探求の旅のすべての始まりである。
そこで、背景を見てみるとヤフシュアという名前は大きく見るとヘブル語→ギリシャ語→ラテン語と言語を経由してきていることが分かる。
救い主の御名を表すのに、ヘブル語には「J」という発音は存在しない。また英語であっても「Jesus 」と表記され始めたのはごく最近のことであることが分かる。
「J」の採用というのは17世紀のことである。最初にIがJとして発行されたのは1634年である。Jというのは英語の26番目の最後のアルファベットとして採用された。それよりも前はIという発音はYのようの扱われていた。
「ハレルジャ」という言葉はこの最たる例である。ノアウェブスターという人が19世紀に辞書を書いたときというのは、すでに英語ではJという文字が使われていた時であるのにも関わらず、この単語の元はハレルヤというスペルであると主張している。
ある原語の単語をほかの言語の単語に訳す際に、主に二つの方法がある。
①単語が持つ意味を訳す方法
②単語が持つ音を異なる言語の音に置き換える方法
ヤフシュア様の名前が変換された経緯を見ると、ヤフシュア様の訳され方は後者である。
ここで一つ音訳の例を挙げてみる
例)ヨハネ
日本語 ⇔ 英語 ⇔ ロシア語
ヨハネ ジョン イワン
この一つの例からでも、その言語とは異なる呼び方をする無意味さが感じ取れるはずである。
ヘブル語は一つの単語だけでも、絵・数字を併せ持ち、我々の想像を超える祝福の意味が含まれている。なぜ、その国での呼び名がイワンだからと言ってイワンと呼ばなければならないのかという疑問しか湧き出てこない。
使徒4:12
この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
この聖句より、我々は元の言語であるへブル名の御子の名前を知るべきであると考える。
以下は名前が変更されていった経緯をまとめた図である。
鎖国時代にザビエルが来日した時のイエズス会はラテン語の「イェスース」が関係していると思われる。
そして、ラテン語のIESUSと訳された言葉も異教徒の作家によって、実際には同じような発音をするゼウスにとって代わられるようになった。
ゼウスという発音を詳しく見てみると”sooce(ソース)”と発音することが分かる。IESUSはee-ay-soos(イアソース)と発音する。
このゼウスというのはパルテノン神殿のリーダー的な存在であった。このゼウスをほめたたえるために、ゼウスという名前の一部が人物の名前に付け加えられたり、地名につけられたりもしたようである。聖書では、ヤフワ様もご自身の性質を表されるためにヤフシュア様に、また預言者などにもご自身の名を表された。
末尾に見られるのsus(スス), seus(セウス)、sous(ソウス)というのは異教徒の偶像につけられる名前の代表格となる発音である。
例えば、聖なる山とされている”パルナッソス”と同様にギリシャ神話に出てくる”オッデュソウス”も”ソウス”という終わり方である。
そして、ゼウスの二人の息子もその父を敬って、名前の後ろにその名前がついている。
お酒の神である”ディオニュソス”と”ペルセウス”である。
そしてギリシャ語がラテン語になるときには、もっと形が崩れてIESUSとなった。
ラテン語では男性的な特徴を言い表すのに最後にusをつける。それはアウグスティヌス、アウレリウスなどにもついてる。
ラテン語のIESUSと印刷された聖書は1560年に出版された。
それはIefusと書かれてあるが、ラテン語のIesusである。
現代のようなfではないが、fにとても似ている。
そして一番の問題が、この崩れて何の意味も持たないばかりか場合によっては異教徒の神として結びつけられている名前が我々の救い主に使われていることにある。
聖書に言われているようにヤフワ様の名前がヤフシュア様の名前には含まれてある。
それは”イエス”でもなく、”Jesus(ジーザス)”でもなく”ヤフシュア様”である。
現在日本のクリスチャンが救い主に向かって使用している名前がある。それは「イエス」であるが、このイエスの語源に関して驚くべき情報を見つけた。
それはYeshu(イェシュ)である。
現在のイスラエルで、メシアニック・ジュ―がよく「イェシュア」と言っているが、「イェシュ」と「イェシュア」とでは大きな差がある。
「イェシュア」というのは名前が変更されていった図に表記してあるとおり、「ヤフシュア」の呼び名が変更されて短くなった短縮形であるが、「イェシュ」は全く異なる。
以下は誰でも調べることのできるWikipedia からの引用である。
<以下引用文>
Modern scholarship generally considers the name Yeshu in the Talmud to be a reference to Jesus in the Talmud. The name Yeshu is also used in other sources before and after the completion of the Babylonian Talmud.
現代の学者は次第にタルムード上で出てくる「イェシュ」は「イエス」のことを指すのではないかと考えてきている。「イェシュ」という名前はバビロニアン・タルムードが完成する前後でも使用されている。
According to the Babylonian Talmud (Sanhedrin 43a) the name is generally believed to be an acronym for י = Yimaḥ ש = Shĕmo ו = Wezikhro = meaning, May his name and memory be stricken out.
バビロニアン・タルムードによると「イェシュ」という名前は「Yimaḥ Shĕmo Wezikhro」
の頭文字であり、その意味は「彼の名と記憶が消し去られるように」という意味である。
(引用:https://en.wikipedia.org/wiki/Yeshu)
この時代背景には、ヤフシュア様を救い主と認めないユダヤ人のラビが根底にある。
ユダヤ人たちは、自分たちの救い主を受け入れ無かったばかりか、名前をもじって呪いの呼び名に変更したのである。
また「Yemach Shemo Wezichro」の意味は聖書にも登場する
詩編109:13
その子孫は断ち切られ、次の世代には彼らの名が消し去られますように。
Yemach=Ye , Shemo=Sh , Wezichro=W(u) →Yeshu
このページをご覧の方は嘘だと思われる方もショックを受けられる方もおられるかもしれない。
しかし、このような名の由来があるかもしれない名前を我々の救い主に使用してよいものだろうか?
もしこの情報が嘘であったとしても(嘘でありたいと願いたい)、クリスチャンにとって日本語の呼び名で救い主を呼ぶメリットがないのである。
また、ギリシャ語でもラテン語でも救い主を呼ぶメリットがない面白い資料がここにある。
ここには、紀元後178年、セルサスの命令で集められた異教徒とクリスチャンの討論の様子が記録されている。
“私たちはそうは思わないが、クリスチャン達は彼らの先生(ヤフシュア様)の名前を発音することによって、地球や空気の力に対しても対抗できると考えている。また、クリスチャン達は名前の意味を守るためにとてもうるさい。つまり、クリスチャン達はそれを正確に発音しないのであればそれは、無意味であると述べている。そしてそれは、ギリシャ語でもラテン語でもない。つまり未開の言語で言っているに違いない。
シリー(クリスチャン)はゼウスの像やアポロの像、またそのほかの像の横に立ってこう叫んだ。「見なさい。私がこれらの像に汚しことを言い、この像を打ったとしても、それは私には何の害ももたらさない。なぜなら、私はクリスチャンだからである。」”
(出典:Celsus on the True Doctrine, A Discourse Against the Christians, R. Joseph Hoffman (page118))
察するに、この文書を記録した人はローマ人であったと考えられる。
当時ローマではギリシャ語が共用語であったが、ローマ人でも聞き取ることのできない未開の言語(ヘブル語)でクリスチャンたちは救い主であるヤフシュア様の名前を保っていたに違いない。なぜなら、この時代はイスラエルでしかヘブル語が話されていなかったからである。
以上より、この「ヤフシュア」という名前はヤフワ様が聖霊によって、この教会に与えてくださった名前であると確信している。
こりふぇchurchはこの”ヤフシュア”という御名だけが本当の救い主の御名であると信じる。
以下は、まとめの図である。
<詳しくご覧になりたい方は英語ですが、以下の動画をご参照ください!>