Q1.十戒に書いてある通り、御名はみだりに唱えてはいけないのでは?

 

A.十戒の第三番目にみだりに唱えてはならないとあるが、例えば毎日話す言葉の中に聖なる御名が含まれていたのであれば、会話をすることによってヤフワ様の御名に対して冒涜を犯してることにならないだろうか?

 

すべての言語で、様々な言い表し方があるが、ヤフワ様の「私はある」というのは英語では”to be”にあたる。それはまた”is” ” ware” ” are” ” shall be" " will be" "will have been "日本語で言えば"である" "だった" "であろう" "すべきだ"に該当する。これらの「ご自身の意思で存在される」方の名前というのは、日常の一般的な言葉から成り立っている。

 

また、これらの言葉は文を成り立たせるために必須の言葉である。

 

しかし、「私たちはヤフワ様の御名は神聖であるから少しでも聖なる御名を使用することを恐れなければならない。」という考えは正しい考えである。

 

ではなぜヤフワ様は、ご自身の名前を毎日必ず使う言語の一部分とされたのか

 

エデンの園が作られたとき、人間は罪を犯してしまい、ヤフワ様にエデンの園から追い出されたが、それは人間を憎んで追放したのではない。ヤフワ様の視点から見ると、サタンの策略によってアダムとエバ、またその子孫たちとコミュニケーションをとる機会が奪われてしまった。それゆえ、ヤフワ様はご自身の性質と被造物との関係を表す意味を持った名前をご自身名前にされたはずである。

 

ヤフワ様の名前は、御父が存在しており、また御父により人間が愛されているということを、人間が理解できる方法で永遠に存在されるということを見事に表している。

 

ヤフワ様が「私はある」と答えられたとき、永遠にご自身があらゆるものが存在する根源であり、永遠にご自身の意思で存在される方であることを強調したと思われる。

 

罪が人間に入り込んだ緊急事態において、ヤフワ様は人間が御父の名前を理解することができるように人間の心に訴えた。モーセが燃える芝にいたとき、モーセはすでにヤフワ様の名前を知っていた。そしてそれは、エデンの園から追放されたときから使っていた言葉であった。

 

モーセがヤフワ様に

「もしイスラエルの人に私を遣わした方は誰かを聞かれたとき、私は何と答えたらよいでしょうか?」

と聞いたとき、原語ではハーヒャー(hayah)であった。これは「ある、ある」であった。「あってあるもの」でもなかった。それは厳格で強調された命令形の ”ある” であった。

 

「助けてくれませんか?」というフレーズを命令形にすると、「助けて」「来てください」「来なさい」など様々な言い方が存在する。それと同様に、”私はある” という言葉を強調したいときは ”ある” になる。

 

イスラエルの人には彼らを導くことができるヤフワ様の信仰を持つために”be” " ある" という言葉が必要であった。

 

そしておそらくモーセは紅海を分けるときはこう言ったでしょう "Be divided ""分けられよ” という意味になる。

 

またモーセが岩をたたいた時”water be” ”水よあれ”と叫んだに違いない。すると水は力強く岩の割れ目から出てきた。

 

このようにイスラエルの人々の経験のすべてにおいて、言語になくてはならない必須の ”私はある” という神聖な名前の新しく、またより深い理解が必要であった。

 

終わりの時において、私たちはまたこの力強い名前の深い理解力を得るために、悔い改めて叫び求めていかなければならない。

 

私たちはこれらの毎日使われるような言葉が、真の霊と真の礼拝者が使う時にはヤフワ様の存在される力強い命令になるということを知らなければならない。

 

しかし、これらのことばは聖なる御名を軽々しく扱ってもよいということではない。

 

例えば、インターネット検索でヤフーという言葉がある。もしかするとヤフーという言葉はヤフワ様の文字の中から意図的に取られたのかもしれない。しかし、もし意図的にそういう対象にヤフワ様の名前を使うことは、ヤフワ様を軽蔑し、さげすむことになる。

 

日常で、私はある や ある という言葉を使ったとしてもそれは冒涜にはならない。

私たちはヤフワ様の素晴らしい御名の意味を理解し、その力の助けを借りたいと心から訴えるとき、ヤフワ様はその言葉の中におられるヤフワ様は愛の心をくださる。

 

私たちは、ヤフワ様がくださった、これらの名前を通して、私たちと交わりを持ちたいと招待しておられるヤフワ様がおられると信じる信仰によって、この名前を使っていかなければならない。

 

Q2.なぜ「ヤハウェ」でなく 「ヤフワ」なのか?

 

 「キリスト教会の初期のギリシャの作家たちは”ヤハウェ”と発音されたことを証明している」

(参考文献:The Modern Judaica Encyclopedia, Vol. 7 p. 679)

 

この文章の表面的解釈では、これだけでヤハウェと発音すると根拠づけできそうな証拠である。しかし、この初期のギリシャの作家たちとはいったい誰のことだろうか?

 

「ヤハウェという発音は、アレクサンドリアのクレメントとテオドレトスによって、キリスト教初期の文学の中でギリシャ語の翻字によって明らかとなっている。厳密にいうと、神の唯一の名前はヤハウェである」

(参考文献: The New Bible Dictionary p. 478 by J.D. Douglas)

 

”ギリシャ語の書き起こしから判断するに、YHWHというのはヤハウェと発音されるべきである。”(参考文献: The New Catholic Encyclopedia, Vol. 14 p. 1065)

 

実は、これらの文章はカトリック教会によって好んで引用されたものである。

 

引用部分では記されていないが、「ヤハウェ」という証拠を示したのは”Iabe(イアベ)”と読むことを提唱したアレクサンドリア学派のエピファニウスと”Iae(イアエ)”と読むことを提唱したアレクサンドリア学派のオリゲネスである。

 

アレクサンドリアのクレメントはグノーシス主義者の教師であった。

オリゲネスは彼の学生の1人である。そして、クレメントとオリゲネス、テオドレトス、エピファニウスは、メイソンとカトリックの信仰の先祖であるとされている。

 

そして、新約聖書にも登場する「シモン・マグス」という人物がいる。彼は、グノーシス主義の魔術の父であり、疑似救世主であり、ローマに行き天使学と占星術を教えた教師であった。

以下は聖書からの引用である。

 

使徒8:9-24

 8:9ところが、この町にシモンという人がいた。彼は以前からこの町で魔術を行なって、サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していた。

 8:10 小さな者から大きな者に至るまで、あらゆる人々が彼に関心を抱き、「この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ。」と言っていた。

 8:11 人々が彼に関心を抱いたのは、長い間、その魔術に驚かされていたからである。

 8:12 しかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。

 8:13 シモン自身も信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた。そして、しるしとすばらしい奇蹟が行なわれるのを見て、驚いていた。

 8:14 さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。

 8:15 ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。

 8:16 彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。

 8:17 ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。

 8:18 使徒たちが手を置くと聖霊が与えられるのを見たシモンは、使徒たちのところに金を持って来て、

 8:19 「私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にも下さい。」と言った。

 8:20 ペテロは彼に向かって言った。「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。

 8:21 あなたは、このことについては何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。

 8:22 だから、この悪事を悔い改めて、主に祈りなさい。あるいは、心に抱いた思いが赦されるかもしれません。

 8:23 あなたはまだ苦い胆汁と不義のきずなの中にいることが、私にはよくわかっています。」

 8:24 シモンは答えて言った。「あなたがたの言われた事が何も私に起こらないように、私のために主に祈ってください。」

 

そして、アレクサンドリアの学校というのは、使徒の教えに異教を混ぜ込んで「太陽神崇拝」を促進した学校で、後のローマ教皇確立のための学校でもあった。

 

暦の歴史にも登場するコンスタンティヌス1世はグノーシス主義的クリスチャンであった。

以下は彼らのいくつかの信念である。

 

”占星術からの預言:預言者の預言は霊感によるものではなく、彼らは魔術を信じていた。日曜礼拝を推進し、ヤフワの律法を憎め”

 

また、ギリシャ人はへブル人の”a"で終わる名前を"e"で終わらせるような変換を多数行ったことでも有名である。

例)アホアハ(1歴代誌8:4)→アホエ

  エレミヤ(2歴代誌36:21)→エレミエ

 

もし、そうでなくともどうしてヘブル語の呼び名をギリシャ語に変換し無ければならないのだろうか?

 

ゼパニア3:9

そのとき、わたしは、国々の民のくちびるを変えてきよくする。彼らはみな主の御名によって祈り、一つになって主に仕える。

 

 

ゼカリヤ8:23

万軍の主はこう仰せられる。「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、『私たちもあなたがたといっしょに行きたい神(ヤフワ)があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ。』と言う。」

 

なぜヤフワ様はこのような預言をくださったのか?

へブル語というのは、ヤフワ様が人類に与えてくださった神聖な言語である。

また、ヘブル語という文字は表面上の意味のみならず、深い意味を持っているのである。

そのため、ヘブル語ではその単語を発音するだけでいくつもの意味を発音することになるのである。

 

ギリシャ語には”YHWH"という神聖を表す”Yah(ヤー)”の”y”の発音が存在しない。

それだけなく”H"も”W"の発音も存在しない。

 つまり、ギリシャ語の呼び名を使用することはふさわしくないと私たちは考えている。

 

また、以下の文書も証言している。

”アレクサンドリアとアンテオケは常に対立していた。アレクサンドリアは神秘的な超越主義を提示し、聖書の寓話的解釈を促進する。しかし、アンテオケは聖書の文法的歴史的解釈を主張し、神秘的な思考様式に同情を持たない。”

(参考文献:A Manuel of Church History, Vol. 1, p. 297)

 

以上のことより、こりふぇchurchは天の御父をギリシャ語由来の「ヤハウェ」ではなく、ヘブル語時点から抽出した「ヤフワ」と呼ぶことが正しいと信じる。

 

 

 

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